「日野市立新選組のふるさと歴史館」を訪れた
日野という土地柄なくしては
土方歳三はなかったかもしれない
新選組の誕生にも関わった日野の歴史を
3/19の「ぶらっと東京食べ歩き」ではふれてみたい
左記の土方歳三の写真がもしも残っていなかったら
現在のような人気があっただろうか
現在でも「イケメン」で通じる土方歳三
歴史の教科書では分からない土方の胸の内を想像してみたい
当人が考えていたことは、本人以外は分からない
たとえ、「書」が残っていても、それが真実の声だとは限らない
なぜなら、「かっこつけて」書いてるかもしれないから
だから、想像するしかない
「本当に土方歳三が何を考えていたのか」
*エントランスの写真
「東京都立日野高校2年生有志による爪楊枝アート」
この写真は高校生が爪楊枝で作った土方歳三
何と使った爪楊枝は19万本
土方歳三のことがよほど好きなんだろうな
地元 日野で愛されている土方歳三
会津藩御預 新選組屯所
京時代の新選組
一番輝いていた時代かもしれない
当時、鬼の副長として恐れられていた土方歳三
隊内の粛清を繰り返していたが、その中心的役割をしていた
新選組を「最強の軍団」にすべく、憎まれ役をあえてやっていたのか
NO2の美学を感じる
戊辰戦争のなかで、土方歳三は何を考えていた?
函館五稜郭で最後の時、榎本武揚以下、
旧幕府軍の幹部で亡くなった人はほとんどいない
にもかかわらず、土方は最後まで実戦で戦い続け
ついに戦死する
まわりが「降伏」というステージに向けて動き出している中
なぜ、最後まで戦い続けたのか
本当のところは本人しか分からない
・盟友 近藤勇へも思い
・「武士」として立派に死にたい
・負けることを考えず、最後まで「勝ち」を求める
・降伏=斬首、これは何としても避けたい
函館の最期、土方は小姓 市村鉄之助に遺品を
日野の佐藤彦五郎に届けるよう命じる
土方は市村に生きて欲しかったのではないだろうか
鬼の副長 土方歳三が日野の歳三に戻った瞬間かもしれない
現在もその時の遺品が日野に残っている
・土方歳三資料館「愛刀 和泉守兼定」
・佐藤彦五郎新選組資料館「市村鉄之助が佐藤家に届けた
歳三の肖像写真」
*写真に歯型のような圧迫痕が残っている
新選組のふるさと歴史館を出て日野駅に着いたが腹が減った・・・
銀のあんでたい焼きを購入して食べ歩き
やはり疲れると「あんこ」が欲しくなる。。。
*facebookでも紹介しています
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