第7回「ぶらっと東京食べ歩き」は「新選組の故郷 日野」
≪新選組が生まれた背景とこの日野周辺の土地柄≫
この地域には戦国時代主君を失った武士が多く住んでいた
彼らは「草分け百姓」と呼ばれ、やがて豪農や名主も生まれてきた
八王子周辺ではこれら1000人の武士を集め、八王子千人同心を作る
彼らの仕事は日光東照宮の火の番で、普段は百姓身分だった
更にこの地域は幕府直轄だったので、将軍への特別な思いがあった
土方歳三はこのような環境で育ったことが、後の新選組での活動のベースになっていたのかもしれない
またこの日野周辺多摩の出身だった近藤勇、土方歳三、井上源三郎、そして新選組を物心両面で支援した佐藤彦五郎(歳三の義兄/いとこにも当たる)はある意味、親兄弟よりも濃いつながりで結ばれていたと言える
写真出典 国立国会図書館
宝泉寺「井上源三郎之墓」
新選組六番隊隊長 井上源三郎の墓
残念ながら実際の写真はないようです。
NHK新選組では小林隆さんが演じておられました。
近藤勇より年長で「源さん」という感じだったのでしょうか
八坂神社「天然理心流奉納額」
近藤(嶋崎)勇、沖田(惣次郎)総司、井上源三郎らが1858年に奉納した天然理心流の剣術額
土方歳三はその翌年1859年に入門したため、名前はない
≪天然理心流≫
創始者は近藤内蔵助、2代目三助、3代目周助、そして4代目勇
それぞれ多摩地区と縁が深く、名主や豪農、八王子千人同心を中心に農民の間でも習われていた
大昌寺「佐藤彦五郎墓」
自らも勝沼戦争に参加した佐藤彦五郎とその妻のぶ(土方歳三の姉)の墓
日野宿本陣
嘉永2(1849)年の大火で焼失した主屋に変わるものとして建てられ、日野宿本郷名主を務めていた佐藤彦五郎が本陣(元々は脇本陣)兼自宅として元治元(1864)年12月から使用した
現在の主屋は都内に残る唯一の本陣建築で、大黒柱や式台付玄関がある
また彦五郎は天然理心流に入門し、ここ自宅に道場も開いた
この道場には近藤勇、沖田総司、山南敬助らが訪れ、日野の土方歳三や井上源三郎らを交えた新選組と日野の人々との物語の幕が開けられた
佐藤彦五郎新選組資料館
館長の16代ご子孫 福子様(真ん中の和服の女性)と一緒に
近藤勇から譲り受けた短銃、歳三の愛刀(越前康継)
山南敬助の死を伝える沖田総司の手紙
(沖田総司の手紙は珍しい!)
彦五郎の太刀 他数々の新選組に関する資料が展示されている
土方歳三資料館
館長 愛様(歳三の兄喜六のご子孫) と一緒に(左から3人目)
愛刀 兼定
池田屋事件で使用した鎖帷子
(槍で突かれたあとがある)
八月十八日の政変時に使用した鉢金
など土方歳三の遺品が多く展示されている
高幡不動尊「殉節両雄之碑」
「賊徒」戦死者の祭祀が政府によって許可され、明治9年4月に「殉節両雄之碑」の建立が決まったものの、明治政府の旧幕府敵視政策があって、進まなかったが、明治21年7月にやっと完成
徳川慶喜は歳三の「唯死あるのみ。即ち寛典に処すとも吾何の面目あって、また昌宣と地下にまみえんや」との文言を見て、無言のまま涙したと言われている
*寛典:寛大な処置
*昌宣:近藤勇
ランチは高幡不動から徒歩10分、丘の上一軒家にある
「プティ・ファンベック」
安納芋のスープ
エシャロット、シナモン入り
前菜 サーモンと小エビのタルタル
メイン すずき、ホタテ、きたかむい(ジャガイモ)、広島カキのソテー サフランソース添え
お客様の一人が右手を負傷していて、ナイフが持ちにくそうだったので、お店の方が、気をきかして、各食材をカットして提供してくれた
この”気遣い”に感動!
当日、皆さんに出したクイズです、何問答えられますか?
1.宝泉寺(井上源三郎)
井上源三郎は芹沢鴨暗殺後、井上源三郎は副長助勤・●番隊組長に就任した
①1番、②2番、③6番
2.八坂神社(沖田総司)
沖田総司は死の際、植木屋の庭に現れる●を斬ろうとして幾度となく失敗し、己の衰えを痛感した沖田は付添いの老婆に「ああ、斬れない。婆さん、俺は斬れないよ」と嘆いたといわれるが、この話は子母沢寛による創作といわれる
①猫 ②犬 ③すずめ
3.大昌寺(佐藤彦五郎)
彦五郎の妻は●●の姉である
①近藤勇 ②沖田総司 ③土方歳三
4.佐藤彦五郎新選組資料館
展示されている歳三の愛刀「越前康継」の刀身に刻印されている模様は?
①菊の御紋 ②葵御紋 ③丸に十字
5.佐藤彦五郎新選組資料館
彦五郎が自らも戦いに参加したのは?
①勝沼戦争、②函館戦争、③鳥羽伏見の戦い
6.日野宿本陣
昭和26(1951)年、この屋敷は宮崎家の所有となる。昭和55年4月、「日野館」は開店し、平成15年10月をもって本陣屋敷で経営されていた「日野館」は幕を閉じた。
①日野アンテナショップ ②カフェ ③蕎麦屋
7.土方歳三資料館
歳三が丁稚奉公した商店は?
①松坂屋 ②三越 ③高島屋
8.歳三は1864年に武州小野路村小島鹿之助に意外なものを贈っている。これは仙台市博物館に現存している。
①武士魂冊 ②名所冊 ③婦人恋冊
9.高幡不動尊(殉節両雄之碑)
石碑には両雄の事績が漢文で書かれている。その文の撰者は大槻磐渓(ばんけい)(元仙台藩の儒者)、筆者は松本順(元幕府典医)、その篆額を書いたのは誰?
①徳川慶喜、②松平容保、③勝海舟
10.高幡不動尊(土方歳三像)
鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府軍が大坂から江戸へ撤退した後、近藤は大久保大和、歳三は内藤●●と一時名乗って甲斐国に向かう
①為次郎、②俊正、③隼人
回答
1.③ 2.① 3.③ 4.② 5.① 6.③ 7.① 8.③ 9.② 10.③
以上
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