「ぶらっと東京食べ歩き(5/20)」では、
珍しく天候にも恵まれて
楽しい1日を柴又で過ごした
駅前で寅さん、妹さくらの像の前に集合して、スタート
映画「男はつらいよ」で寅さんが必ず言うセリフ
私 生まれも育ちも葛飾柴又です
帝釈天で産湯をつかい、
姓は車 名は寅次郎
人呼んで フーテンの寅と発します
さあ、昭和の名作「男はつらいよ」の世界にどっぷりつかって
・ちゃぶ台を囲んだ家族みんなでの夕飯
・人を思いやる気持ち
・切ない恋
とか思い出しながら、ぶらっと散歩
「良観寺」願掛け宝袋尊
柴又七福神の一つ
(願掛け宝袋尊の由来)
江戸時代初期に商人が都からの帰り、
山中で日が暮れ、
民家の宿を借り一夜を明かしたが、
そこは大木うろの中だった
見渡すと布袋尊がおられ、
商人はそれを持ち帰り、
お祀りしたところ、商売は大繁盛
これを多くの人の役に立てたいと思い、
この像を「宝袋尊」と称し、
良観寺に奉納したのが始まり
願い事を一心に念じながら、
お腹を3度時計回りに
なでるとご利益があるそう
皆さん、真剣になでてました(笑)
何を念じていたのでしょうか??
参道を通って、帝釈天へ
お参りの後の
「食べ歩き」や「土産」を気にしながら
柴又七福神の一つ(毘沙門天)
帝釈天(正式名 経栄山題経寺) へ
寛永6(1929)年創建
この参道は寅さんの故郷、
今も当時とほとんど変わらない
帝釈天「御神水」
寅さんが産湯をつかった「御神水」
ここにもご利益がありそう・・・
帝釈天「瑞龍の松」
高さ約10m、枝張は東西約17m、
南北約19m、幹周2m
上方にまっすぐ伸びる幹と
三方に伸びた大枝から成るその姿は
まるで空に向けて、
龍が天に昇るように見えることから、
この名がついたと言われている
帝釈天「彫刻ギャラリー」
大正11(1922)年から昭和9(1934)年にかけて、
加藤寅之助ら10名の彫刻師が
1面ずつ分担制作した
法華経に説かれる代表的な10話を
選び視覚化したもの
とても1枚の板を彫って作ったとは
思えないような立体感
皆さん、初めて見られたようで、
驚きと感動の彫刻を堪能していただきました
帝釈天「邃渓園」
帝釈天の奥にある回廊式大庭園
休憩スペースがあり、椅子もある
無料のお茶を飲みながら、
ゆったりと庭園を眺められる
たまにはこんなところで
ゆっくりとするのもいいのでは・・
「帝釈天参道で食べ歩き」
お待ちかねの食べ歩きタイム
とらや「焼草だんご」
表面が焼いてあるので
香ばしい香りがいい
アクセントの海苔がベストマッチ!
丸仁「お漬物」
「食べていってよー」
という呼び込みの声につられ、
店に入って真剣に食べ比べ
エリンギの歯ごたえと
さっぱりした味が最高!
「葛飾柴又寅さん記念館」
映画「男はつらいよ」は
16歳で家出した寅さんが
20年ぶりに異母妹のさくらと叔父夫婦が
営む葛飾柴又の団子屋へ
姿を見せるところから話が始まる
寅さんの幼少時から家出した経緯、
当時、妹さくらを大事にしていた
兄寅さんの物語をジオラマで見ることができる
このような背景を知って、
この映画を見ると
さくらが兄寅さんから
どんなに迷惑をかけられても
見捨てず、優しく接している理由が分かる
「帝釈人車鉄道」のジオラマ
明治32(1899)年から大正2(1913)年まで、
金町~柴又間の1.5キロを
帝釈天への参拝客を乗せて運んだ
何ともユーモラスな模型が見られる
「矢切の渡し」
江戸時代に始まり、
現在、都内で残る唯一の渡し場
その昔、ちあきなおみや細川たかしが
歌った舞台でもある
当日は混んでいて、
いっぺんに30名くらい乗ることになり
ちょっと窮屈だったが、
櫓をこぐ音を聞きながら、
ゆったり15分の船旅を
味わうことができた
こちらの船頭さんは
江戸時代から続いていて
6代目だとか
週末限定営業 こだわりの蕎麦「日曜庵」
年に一度仕入れた玄蕎麦を、
低温真空遮光で、
約3年間保存したものを自家製粉
一年中、新蕎麦の風味を楽しむために、
払われるこの手間隙が
日曜庵店主のこだわり
(この作業を平日にやっているため、週末営業になるらしい)
また、器にもかなりのこだわり
今回は通常メニューにないコース料理を堪能
「そばがき」は食べたことがない方が多く、
そのそばの風味いっぱいのふわふわ感に
驚きがあったのではないかな
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