高知県立坂本龍馬記念館がリニューアルのため、
一年間休館となっている。
その間、国内4ヶ所で巡回展を開催することになり、
6/1~6/25までホテル雅叙園東京で開催中。
龍馬直筆の手紙や愛刀、
そして近江屋で、龍馬が暗殺された
最期の場面の様子が分かる動画も
見られるなど、龍馬ファンなら
ワクワクすること間違いなし!
尚、今回の展示では、ほとんどが撮影OKなので
さらに楽しめます。
龍馬が愛した刀「脇差」(真物)
備前国住長船次郎左衛門尉勝光 左京進宗光
この脇差は平成27年に
北海道の個人宅で発見されたもの。
室町時代中期から後期に
備前国長船(現岡山県瀬戸内市)で作刀された
長船派の名工勝光と宗光の合作。
生の刀身を見ると、何やら背筋がぞくっとする
「梅椿図」(複製)
この掛軸は龍馬が暗殺された
近江屋二階の現場に掛けられていた。
この下部に龍馬のものと思われる
数滴の血痕が付着している。
また軸の上部には海援隊士 長岡謙吉が
追悼文を記している。
龍馬暗殺の場面が想像できる
生々しい遺物である
「海援隊長就任といろは丸事件を報告する手紙」
寺田屋伊助宛て(複製)
先週、小生の故郷 広島県福山市鞆の浦で
いろは丸事件に関する場所を巡ったので
気になった。
亀山社中が海援隊に改組され、
その最初の仕事で、荷物を大坂に運ぶ途中、
いろは丸が紀州藩の明光丸と衝突し、
沈没した経緯を、世話になっていた
寺田屋主人に報告したもの。
いろは丸事件の談判中、
隠れ部屋に宿泊するなど
命の危険を感じていた龍馬だったが、
世話になった人に、丁寧にこのような書面を
書くなど、真面目な性格の一端が垣間見える。
「新婚旅行の報告」
姉乙女宛て(複製)
寺田屋で捕り手に踏み込まれるも
お龍の機転で難を逃れ、
薩摩屋敷に逃げ込んだ。
しかし、龍馬はその時、手を負傷した。
そこで傷の療養を兼ねて、
小松帯刀・西郷隆盛に招かれ
薩摩に新婚旅行した日記。
(日本で最初の新婚旅行だった?)
武士が書いた手紙で
絵付の手紙なんて、他にみたことない(笑)
龍馬のおちゃめな性格が想像できて楽しい。
「新政府綱領八策」(複製)
龍馬が暗殺される10日ほど前、
新政府が進むべき道を示した方策
第八義の文章で「○○自ら盟主となり」
とあるが、これは慶喜公ではないかと
考えられている。
龍馬が旧幕府と新政府軍による戦争を
避けようと考えていた。。。
龍馬が存命であれば、全く違った明治維新が
成し遂げられていたかもしれない。
でも龍馬はいずれにしても
新政府メンバーになるような
堅苦しいことは嫌だろう。
世界の海援隊として日本のグローバル化に
貢献したのではないだろうか。
「紋服・袴」(複製)
龍馬が着ていた紋服は着丈149センチ、
袖丈50センチ、肩幅32センチ
坂本家の家紋「組み合わせ角に桔梗」
が染められている
当時としては龍馬の体格は大きかったようだ
「月琴」(真物)
中国の楽器。
江戸時代、長崎に来た人が弾いて楽しみ
やがて長崎の町人たちの間にも広まった。
この楽器を所有していた小曾根家には
海援隊本部が置かれていた。
龍馬の妻であるお龍は小曾根家でも
月琴を習っていたと伝えられている。
展示会場
ホテル雅叙園東京「百段階段」の天井
実は小生は雅叙園にはまだ若かりし頃、
友達の結婚式で行って以来だった。
かなり変わっていて「和モダン」な感じが
とても居心地がよい
展示会場である「百段階段」は
東京都指定有形文化財に指定されており
昭和10年築の貴重な木造建築である。
廊下は黒檀で出来ており、
窓枠なども趣がある造りが
超豪華な昭和の良き時代を
彷彿させる
ここも必見である
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