【第10回】ぶらっと東京食べ歩き「麻布十番 坂道散歩(9/16)」を実施しました!

ぶらっと東京食べ歩き「麻布十番 坂道散歩(9/16)」を実施!

(麻布七不思議の秘密に迫る街歩き)

 

1.十番稲荷神社

竹長稲荷と末広神社が戦災焼失して、両社が合併し、十番稲荷神社と改称した。

 

こちらの狛犬は昭和12年にコロンビアの歌手だった音丸さん(本名 永井満津子)により奉納されたもの。

音丸の芸名の由来は”音は丸いレコードから”という洒落だったらしい。

 

鳥居は喜劇俳優 榎本健一氏と市川産業の社長 市川要吉氏から奉納されたもの。

 

どちらも麻布十番に縁のあった方達で、この地を愛していたんだろうなぁ。

 


2.きみちゃん像

 

「赤い靴はいてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった」という歌詞で有名な歌のモデルが実際にいた

 

その名は岩崎きみちゃん、彼女は実際にはアメリカに行ってなかった

 

母親が再婚して北海道開拓農場に入植する際、止む無くアメリカ人宣教師ヒュエット夫妻にきみちゃんを養女に出した。

 

ヒュエット夫妻が帰国する時、きみちゃんは当時不治の病といわれた結核に冒され、一緒に行くことは出来ず、東京のメソジスト系の教会の孤児院に預けられた。
そこで母親と再会することもなく、わずか9歳で亡くなってしまった。

 

一方、母親は最愛の娘がアメリカで幸せに暮らしていると思い込んだまま、その生涯を閉じた。

 

その少女の最期を看取った孤児院が麻布の鳥居坂教会 (現・十番稲荷神社)だったことから1989年2月28日、パティオ十番に『きみちゃん像』が建立された。

 

これはテレビ番組のきみちゃんの事実を調べる企画で明らかになったそうです。 

 


3.賢崇寺

 

肥前佐賀藩主鍋島勝茂が、1635年、病気で死んだ嗣子忠直の菩提を弔うために創建した。

 

藩主勝茂の死に際して殉死した重臣たちの墓もある。

 

昭和11(1936)年2月26日早朝に起こった「二・二六事件」の決起将校たちの分骨を集めて建てられた「二十二士之墓」がある。

 

事件後、リーダーだった栗原中尉の父親が供養を行おうとしたが、禁じられて難航した。

そこで父親は佐賀県出身のよしみで、ここ賢崇寺の住職にお願いしていろいろと協力してもらい、同年10月19日にこちらで合同慰霊祭が行われた。

 

17回忌となる昭和27(1952)年7月12日に「二十二士之墓」が建立された。

 

麻布十番に戦争の記憶が残っていた。

 

 

 

 

 

 


4.一本松坂(麻布七不思議)

 

天慶2(936)年、源経基がこの地の民家に宿泊して、柏の葉に盛った栗飯を御馳走になった。

経基はお礼として翌朝、装束をこの松にかけて、麻の狩衣に着替えて帰っていった。

*源経基は清和源氏の祖で平将門と対峙した人物

 

この一本松は「麻布七不思議」の一つ。

甘酒を竹筒に入れて、この松におさめると咳が治ると言われていた。

 

この地は岩波正太郎「鬼平犯科帳」にも「麻布一本松」として登場する。

また、田中康夫「なんとなくクリスタル」では主人公由利の散歩コースとして出てくる。

 

 

 



5.元麻布ヒルズ

 

こちらは、元は善福寺の所有地であったが、バブル景気直前の1983年に森ビルが本寺より、譲り受けて2002年6月に竣工した。

 

このあたりではかなり目立つ建物。


6.ガマ池伝説(麻布七不思議)

 

江戸時代、旗本五千石山崎主税助治正の二人の家来が池に棲む大ガマに食い殺された。

治正が怒って退治を決意した時、夢枕に白衣の老人に化けたガマが現れ、罪を詫び、その償いとして防火に力を尽くすことを誓った。

 

文政4(1821)年、この辺りに火事が起こって、山崎家に迫った時、邸内の池のガマが現れ、口から水を吹き、山崎家を守った。

これがガマ池伝説になっている。

 

これにちなんで、山崎家では防火のお守りとお札を出したところ、受けるものが続出したという。

これを「上の字様」と呼んだ。

これは「上」の一字を記してあるだけだったらしい。

 

広さが500坪あったこの池は深い樹林に囲まれ、いかなる日照りにも涸れたことはなかったと言われる。

 

現在は大部分が埋められ、がわずかに一部が残っているだけだが、

この辺りの外国人がこの池を残すよう頑張ったらしい。

 

 

 


7.釣り堀 衆楽園

 

麻布の高級住宅街の一角には何と釣り堀があるのである。

ここだけ、時間が止まったようだ。

 

こちらは昭和初期の創業で、80年以上なる。

 

麻布にも昭和レトロな場所があって”ほっ”と出来る。

 

 

 

 

 

 

 


8.柳の井戸(麻布七不思議)

 

弘法大師が柳の下で鹿島大明神に祈願して、錫杖を立てたところ、湧き出してきたという。

そのため、鹿島神社の七つの井戸の内、一つは空井戸になったと言われる。

 

関東大震災や東京大空襲の際は多くの人が飲料水として利用した。

 

現在でも少量ながら水が湧き出ていて、都内でも数少ない湧水の一つ。東京名水57選にも選ばれる名水。

 

 

 

 

 

 

 


9.善福寺

 

天長元(824)年、弘法大師によって開山された。都内では浅草寺に次ぐ最古の寺院と言われている。

 

鎌倉時代、親鸞聖人が訪れたのをきっかけに浄土真宗に改宗。

 

安土桃山時代の浄土真宗本願寺勢力と織田信長の戦いで、当寺は大阪石山本願寺に籠城する僧に援軍を送った。

乱後、豊臣秀吉は当寺に寺領保護を誓約した。

徳川家光が本堂を寄進した。

 

安政6(1859)年に日米修好通商条約により、来日したアメリカ公使ハリスの官邸となった。文久3(1863)年には水戸浪士らに放火され、一部焼失した。

 

ハリスの肖像は昭和11年に建てられたが、戦時中は縄でゆわえられ、土で周りを固めてあったが、戦後元通りに復活した。

 

当時の本堂は戦災で焼失。現在のものは昭和36(1961)年、大阪府八尾市の東本願寺別院を移築したもの。

 

 

 

 

 

 

 


10.善福寺(逆さ銀杏)(麻布七不思議)

 

親鸞聖人が地面に建てた杖から枝葉が広がり、その場に根付いて銀杏になったと伝わる。

樹齢は750年以上らしい。

 

銀杏の杖先はつらら状に垂れるという珍しい形をしており、国の天然記念物に指定されている。

 

「江戸砂子」には、乳の出ない母親が、この銀杏の樹皮で治療すると、乳の出がよくなると聞き、皮を剥ぐ者が後を絶たなかったので、垣根を作って禁止したと伝わる。

 

乳根(気根)が何本も垂れ下がっている様子が「乳の出」につながったのでしょうか??

 


11.天のや(玉子サンド)

 

昭和7年創業の甘味処、お好み焼きなどもある。

 

実はこちらの大人気商品は「玉子サンド」

ふわふわの出汁巻きとマスタードが絶妙にマッチング。

出汁の香りが何ともいえない!

 

近くの公園で、みんなで3切れずつ食べ歩きしました、衝撃的な美味しさです!

 

こちらでは出来たての温かい玉子サンドも食べられるが、これもまた絶品。

 


12.ランチ(麻布郡司)

 

隠れ家和食「麻布郡司」で「街発見くらぶ限定ランチコース」をいただきました。

①小松菜お浸しとイワシの梅煮

②牛すじと豆腐の煮込み

③ナスのそぼろ煮

④塩さんま

⑤刺身胡麻和えとろろ飯

もうお腹いっぱいです(笑)