11月4日(土)ぶらっと東京食べ歩き「越中島~清澄庭園」を実施しました。
ぶらっと散歩も2016年2月に初回を実施して以来、お蔭様で今回で11回目となりました。
今後も20回目指して、面白いコンテンツをお届けできるよう頑張りますので宜しくお願いします。
1.深川、越中島の由来
(深川の由来)
徳川家康の入国により、天正18(1590)年から開削が進められていた小名木川の北側を摂津国出身の深川八郎右衛門が開拓し、慶長元(1596)年に深川村を創建した。
(越中島の由来)
江戸時代初期、播州姫路の領主 榊原越中守が島状の土地に屋敷を持っていたところから「越中島」と名付けられた。
その後、忍藩 松平下総守の領地となった。
(なぜ、榊原越中守から松平下総守へ代わった?)
榊原式部大輔が吉原 高尾太夫を身請けしたことが幕府にばれて、自身は隠居、領地も姫路から越後高田に国替えとなった。
その後、高尾太夫は越後高田で62歳の長寿を全うしたと伝わる。
身請け代は1800両(現在の貨幣価値で約2億円?)だったと聞く。
この結果がよかったのか、とんでもないことだったのか、この殿様のみぞ知る・・・
国替え後の高田藩榊原家の中屋敷が現在、上野にある「旧岩崎邸庭園」の場所になる。
あの岩崎弥太郎が買い取った場所である。
本日、最終地としている清澄庭園も岩崎弥太郎が購入したところ。
何やら見えない糸で結ばれているような気がする。。。
2.東京海洋大学
黒船来航後、海防のため忍藩屋敷の隣に「越中島調練場」が設けられ、明治期になると「陸軍練兵場」になる。
その後明治32年に「商船学校」の敷地となり、霊岸島校舎から明治35年に移転完了した。
その後、静岡・清水に「商船大学」が開学したが、再び越中島に移転し、前身である「東京商船大学」へ発展した。
平成15(2003)年、共に120年以上の歴史を持つ東京商船大学と東京水産大学が統合して開学。
国立大学で海洋の研究・教育に特化した大学である。
3.明治丸
明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に灯台巡廻船として発注し、明治7(1874)年に竣工した鉄船(現在はすべて鋼船)。
この船は特別室やサロンを備える豪華な仕様の船で、単に灯台業務ばかりでなく、ロイヤルシップの役目も兼ねていた。
明治天皇をはじめ、多くの高官が乗船し、重要な場面で活躍した。
明治9(1876)年、明治天皇は奥羽・北海道巡幸の帰り、青森から函館経由横浜まで乗船され、7月20日に横浜に着かれた。
(海の日の由来)
明治9年にはイギリスとの間で、小笠原諸島の領有問題が生じたため、11月21日に日本政府調査団を乗せて明治丸は横浜港を出港し、24日に父島に入港した。
22日に同じく横浜を出港した英国軍艦「カーリュー」より2日早く着き、調査を進められたため、日本の小笠原諸島領有の基礎を固めることが出来たと言われている。
明治丸は明治29(1896)年、商船学校に譲渡され、練習船として昭和20(1945)年まで約5,000名の学生を育てた。
また、関東大震災や東京大空襲で被災した多くの住民を収容し、災害支援にも貢献した。
現存する唯一の鉄船として国の重要文化財に指定されている。
ガイドの方に詳しく説明して頂いたが、皆さんこの大学の卒業生のようだ。
4.深川ワイナリー
こちらではワインの製造工程をレクチャーしてもらえる。
実際にブドウを発酵しているタンクも見ることができる。
これから2017ワインの仕込みに入りますが、ボランティアを募集しているそうです。
ご興味のある方はぜひどうぞ!
その後、お待ちかねの試飲コーナー。
皆さん、この後も2時間歩きますよ、大丈夫かな??
5.深川不動堂
成田山新勝寺の東京別院。その開創は元禄16(1703)年と伝わる。
市川團十郎が不動明王が登場する歌舞伎を発表し、それに感化された江戸っ子たちが「成田山の不動明王にお参りしたい」という雰囲気になり、それを受けて成田山のご本尊を江戸に奉持して、出開帳したことに始まる。
(新本堂クリスタル回廊)
約1万体の不動尊像が納められたクリスタルの五輪塔。
お願いをプレートに謹刻して頂き、永代にわたって、諸願成就 を祈願してもらえます。
6.辰巳新道
深川地域は江戸の東南(辰巳の方向)に位置することから、昔から「辰巳」と呼ばれ、辰巳芸者に象徴される花街もあった。
昭和20(1945)年3月の東京大空襲で、この界隈がほぼ焦土と化してから、その復興は闇市から始まった。
その当時の雰囲気を醸し出すノスタルジックな飲み屋街である。
7.法乗寺深川えんま堂
寛永6(1629)年、深川冨吉町に創建され、同18年に現在地に移転。
当山は宝永年間(1751~64)年に、江戸に設けられた御府内八十八ヶ所の第74番目札所に当たる。
お賽銭を入れると他では味わえない有難いお言葉を頂戴できます(笑)
8.採茶庵(さいとあん)
芭蕉は元禄2年3月27日、採茶庵から「おくの細道」の旅に出発した。
正確には仙台掘から船に乗って千住まで行った。
採茶庵は芭蕉の門人 杉山杉風(さんぷう)の別宅だった。
芭蕉はそれまで住んでいた芭蕉庵を手放し、門人 杉風の別宅に厄介になっていた。
なぜ、自宅を手放して、門人の家に世話になったのだろうか??
9.旧東京市営店舗向住宅
関東大震災後、昭和3(1928)年、震災復興事業として、当時の東京市が建築したコンクリート長屋です。
震災を考慮した建物として、耐火構造の鉄筋コンクリート製2階建て、間口2間半の商店を4~6店舗くらいで長屋にした建造物。
もともと一階部分は店舗、二階は住宅として建造され、貸与された。
現在は住人に払い下げられて、改修してすべて住宅区域にしている建物もある。
二階部分の外壁に当時の名残である「アール・デコ調」の装飾を施した建物もいくつか残っている。
10.清澄庭園
この地は江戸の豪商 紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられている。
享保年間には下総国の城主 久世大和守の下屋敷。
明治11年、岩崎彌太郎がこの地を買い取り、社員の慰労や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として開園した。
その後も造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、「回遊式林泉公園」として完成した。
大正12年、関東大震災で大きな被害を受けた後、現在の庭園部分を岩崎家より、東京市が寄付を受け、これを整備して昭和7年、一般公開した。
今年も昨年と同じガイドさん(清澄庭園の名物ガイドさん)に、庭園内の説明をお願いした。
なかなか普通では知らないような話も織り交ぜて頂き、ユーモラスな口調で話される内容が面白く、皆さん楽しんで頂けたようである。
11.清澄庭園「涼亭」
今回のランチ会場、「涼亭」
ここは半年前に、じゃんけんで勝ったものが予約できる。
思い出すなぁ、半年前の2017年5月4日。
8回目の挑戦で、清澄庭園受付に朝10時に行ってみると、何と一人もいない!!
じゃんけんなしで、11月4日(土)は「街発見くらぶに決定!」
そんなこともあるのだなぁ。
職員の皆さんも、私が8回目の挑戦ということを知っていて、喜んでもらえました(笑)
12.ケータリングによる「創作フレンチ」と「日本酒」のマリア―ジュ
昨年もお願いしたhappyさんのケータリング。
今回はワイングラスで飲む「日本酒」に合うものをお願いしていたので相性もバッチリ。
日本酒は「純米大吟醸」2種、「大吟醸」3種、「純米酒」1種、「にごり酒」1種と7本を用意。
結果、6本空いていたので、真昼間にしては結構、飲んだかな。
後でお聞きしましたが、ご自宅の駅を乗り越してしまったお客様もいらしたようです(笑)
(食べ歩き)
深川不動堂参道にある「梅花亭」のアイス
最中の皮に包まれたアイスとあんこの組み合わせが抜群!
天気も良く、当日は少し暑かったので、アイスで、ほっと一息。
7名のお客様が食べたいと御所望され、「7個お願いします」と言うと、女将さんは「えー」と一言。
何せ、一人でやっている「手作り」なので「時間かかりますよ」と言われ、お店は”てんてこ舞い”になってしまいました(笑)。
無事、提供されたアイスを食べたお客様は、「あんこがいい!」と絶賛でした。
(最後に)
今回は過去最多の15名のお客様に参加頂きました。
「涼亭でのランチ」は今回が最後とアナウンスしていたので、一度見ておきたいというお客様もいらっしゃったかもしれません。
やはり、「普段出来ないような体験」「えっ、こんなところに、こんなものが」「知らなかった」という驚きを提供できる街歩き。
ランチも有名店であればよいということではなく、ちゃんと味見をして、本当に美味しい店を紹介する。
そして、参加頂いたお客様同士が話しやすい雰囲気を作り、「新たな仲間作り」を応援する。
こんなコンセプトで、さらに内容を充実させていきたいと思いますので、引き続き、宜しくお願いします。
街発見くらぶ 藤井
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