「御茶ノ水」をぶらっと散歩

近代教育発祥の地「御茶ノ水」をぶらっと散歩

 

1.明治大学博物館

 

80年以上の歴史をもつ「刑事博物館」「商品博物館」「考古学博物館」が統合して、2004年に発足しました。

その中でも、特に異彩を放つのが「刑事博物館」。刑罰具など、他では見られない品々にあっと驚きます。

 

(1)鉄の処女と恥辱刑

展示品は1932年に当博物館が国内で作らせた複製品。同種の資料がローテンブルクやサンジミニャーノの中世犯罪博物館などにあり、これらを参考に作られたようです。

処刑や拷問の道具と考えられていた時期もありますが、現在では恥辱刑の道具だったのではないかと考えられています。

(不貞を働いた女性を閉じ込め、街中にさらす道具)

 

それにしても、かなり異様な感じがします。

 

(2)絞首台

日本で採用されている「絞首刑」は、最初は柱に固定して、後ろからひもで首を絞め、重りをぶら下げて徐々に首を絞めていく…という苦しいものでした。しかし「あまりに人道的でない」ということで、現在の、階段を昇って行って床が抜けるタイプの「確実に死ねる」絞首刑へと変わっていったようです。

 

 

(3)石抱拷具(いしだきごうぐ)

石抱責めでは、三角の木材を打ち付けた算盤板に正座させ、両ひざに責め石を置き重ねました。

この責め石の重さは約50kgあり、当時のマニュアルでは、10枚まで載せてよいことになっていました。

 

 

想像すると怖いです。やはり、「悪いことはできない」ということを改めて思いますね。

 

 


2.「お茶の水」の碑

 

慶長の昔、このあたり神田山の麓に「高林寺」という禅寺がありました。

ある時、寺の庭より良い水がわき出るので、将軍秀忠公に差し上げたところ、大変良い水だとお褒めの言葉を戴きました。

それから、毎日この水を差し上げる様になり この寺は「お茶の水高林寺」と呼ばれ、この辺りを「お茶の水」と云うようになったとのことです。

 

やはり、御茶ノ水には「水」が関係していたんですね。

 


3.神田学生街の記憶

 

たまたま通りがかりのビルで「神田学生街の記憶」という展示会をやっていました。

明治、大正、昭和と神田の学生街の移り変わりが、写真で蘇るようで、とても興味深く拝見しました。

 

私が生まれた昭和30年代、終戦から10年以上経っていますが、まだまだ昭和の香りがプンプンする写真が残っています。

 

 


4.神保町 古書店街で見つけた映画雑誌

 

懐かしい「スクリーン」。

確か、「ロードショー」という雑誌もあったかな。

 

中学生の頃、よく買っていました。

当時の女優さん、圧倒的な存在感で本当にきれいです。

 

 


5.山の上ホテル

 昭和12(1937)年、明治大学OBで石炭商の佐藤慶太郎が設立し、当時は西洋の習慣を女性が学ぶための施設として建てられました。

 

そして、戦後はアメリカ陸軍婦人部隊が宿泊していました。その後、昭和29(1954)年、客室数35のホテルとして開業。

クラシカルなホテルとして数々の文化人に愛されました。(川端康成、三島由紀夫、井上靖、松本清張など)

 

特に401号室は池波正太郎がよく使用しており、その部屋では絵も描いていたようです。

今でも、この部屋を予約して、「池波正太郎仕様でお願いします」と言えば、やってもらえるとか。

 

山の上ホテルで販売していた「文化人のビーフカレー・ハヤシソース」。

まだ食していないので、分かりませんが、「文化人が愛した味」は私に合うのでしょうか???

 

 


6.おりがみ会館

 

「おりがみ」は算数力と想像力がないと難しい。

きれいに折ると言う意味では緻密さも必要。

こりゃ、私には無理だ!

 

でも、このおりがみ教室で、親切に教えてもらえるようです。

 

ここに掲載した写真の人形はすべて折り紙で出来ています。

信じられません・・・

 

(1)勧進帳(源義経、武蔵坊弁慶、富樫左衛門)

安宅の関で、義経一行が関守の富樫に疑いをかけられ、勧進帳を読み上げるように言われた弁慶は、巻物を取り出して読み始める。

白紙の巻物を見せまいとパッと隠す緊迫した場面の様子です。

 

 

(2)新春大歌舞伎 江戸の花舞台

すごい数の折り紙で出来た人形。今にも動き出しそうです!

 

 


7.江戸富士 ド迫力の海鮮丼

 

何種類の海鮮がのっているのか、聞くのを忘れました。

ご飯にたどり着くのが大変でした(笑)

 


8.夜の帳につつまれる御茶ノ水駅

 

御茶ノ水というと、湯島聖堂、神田明神、ニコライ堂がセットですが、今回は、これらを敢えて外して、ぶらっと散歩してみました。

 

近代教育発祥の地として、現在も色々な学校がありますが、ここは、楽器の街でもあります。

(1)学生が多い、(2)古道具屋が多かったので、学生が古道具屋で楽器を買ったり、預けたりした、(3)戦後、駐留していた米兵のバンドがあり、これらの楽器が残った

 

こんなわけで、このあたりに楽器店が多くなったようです。

 

「御茶ノ水」何とも興味深い街でした!!