【第13回】ぶらっと東京食べ歩き「御茶ノ水」をやりました!

出典:国立国会図書館「名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川」
出典:国立国会図書館「名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川」

1.お茶の水の地形

 

このあたりは元来、本郷・湯島台と地続きで、「神田山」と呼ばれていました。

江戸に幕府を開いた徳川家康は、新たな町づくりのため、この神田山を切り崩し、江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園
新橋周辺)を埋め立てました。

しかし、埋め立てによって、それまで海に流れ込んでいた平川(神田川のもとになった川)の流れがとどこおり、下流で洪水が頻発するようになります。
そこで現在の飯田橋付近から隅田川まで、分流としての水路を確保し、あわせて江戸城の外堀の役目も果たす「神田川」が開削されたのです。

 

こうしてこの界隈は、本郷・湯島台から切り離され、現在の駿河台が形成されました。

 

この絵は、昌平橋から湯島聖堂を見たものですが、狭くて切り立った峡谷に、現在でも残る湯島聖堂の築地塀が見えます。

当時の情景が浮かぶようですね。

 


2.御茶ノ水 碑(御茶ノ水の名前の由来)

 

慶長の昔、このあたり神田山の麓に高林寺という禅寺がありました。

 

ある時、寺の庭より良い水が湧き出るので将軍秀忠に献上したところ、お茶に用いられて大変良い水だとお褒めの言葉を戴きました。

それから毎日この水を差し上げる様になり、この寺は「お茶の水高林寺」と呼ばれ、この辺りを「お茶の水」と云うようになったそうです。 

 

高林寺は明暦の大火後、駒込近くに移転したので、現在では、残念ながら、その痕跡は残っていませんが、御茶ノ水駅前の交番前にその碑が立っています。

 


お茶の水橋からの眺め
お茶の水橋からの眺め

3.お茶の水橋

 

この作られた渓谷は「お茶の水谷」とも呼ばれ、のちに橋名の由来となりました。

江戸時代の技術では深い峡谷に架橋することは困難であり、橋が建設されたのは明治に入ってからです。

(つまり、江戸っ子は見られませんでした)


初代の橋は明治24(1891)年に、原龍太により、日本人の設計としては初の鉄橋として架けられました。

 

しかし、大正12(1923)年の関東大震災で、橋板が木材で出来ていたため焼失し、神田川は土砂崩れでせき止められました。

昭和6(1931)年5月10日に震災復興事業として架替が完成しました。

これは耐震性に優れた造りとなっており、現在まで使用されています。

 


4.湯島聖堂「近代教育発祥の地」

 

江戸幕府を開いた徳川家康は孔子を始祖とする儒学、とりわけ朱子学を政治の中に採り入れていこうと考えました。

 

そして、寛永7(1630)年、三代将軍家光が幕府儒官の林羅山に上野忍ケ岡(現在の西郷の銅像から寛永寺のあたり)に土地と三百両を与えて学舎と書庫を建てさせました。

 

この孔子廟を元禄3(1690)年、五代将軍綱吉が儒学の振興を図るため、現在の地に移したことが始まりです。

 

寛政9(1797)年には幕府直轄の学問所、昌平坂学問所(通称『昌平校』)が開設されました。

 

明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府が所管することになり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら、明治4(1871)年、これを廃して文部省が置かれることとなりました。

 

ついで、この年、わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5(1872)年には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、明治7(1874)年には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19(1886)年、23(1890)年、高等師範学校に昇格した後、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展しました。

 

このように、湯島聖堂は「近代教育発祥の地」として、維新の一大変革にあたっても学問所としての伝統を受け継いできたのです。

 

このように湯島聖堂があったお蔭で、お茶の水周辺には様々な分野の教師が多く住んでいたこと、及び大名屋敷が多くあったので、広い土地があったことから、このあたりに数多くの学校が置かれるようになりました。

 

 


5.湯島聖堂「宥座の器」

 

水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐに立ち、水が満ちるとひっくり返り、全てこぼれる。
これを見て孔子が ”器”で「中庸」を説いたのだそう。

 

何事も、「ほどほど」がいいということでしょうか?

何人か、試されていましたが、どこまで入るか、確かめている方もいらっしゃいました(笑)。

 

 

 


6.三河屋綾部商店「甘酒」

 

1616年に三河から江戸へ移ってきた「三河屋綾部商店」は、代々将軍家や宮内庁に手作りの甘酒だけでなく、味噌や納豆も納めてきたという、老舗の甘酒屋です。

 

店主から「麹」と「糀」の違いの話など、めったに聞けないお話も聞きながら、ゆったりとした雰囲気で、皆さん、アクセントの生姜パウダーが入った「甘酒」を飲んでらっしゃいました。

 

今、甘酒はちょっとしたブームで、「飲む点滴」と言われて、飲む人が増えているようです。

 

 


7.おりがみ会館

 

安政5(1858)年に初代 幸助が手がけた染め紙業が始まり。
幸助は、上野寛永寺の仕事などを行う「経師(きょうじ)」という、書画の軸、屏風、襖を表装する表具師でした。

後に幸助は和紙全般の加工技術を習得し、「染め紙屋(小林染紙店)」として、現東京湯島に3階建ての工場を作りました。

 

明治の教育改革に伴い、初代文部大臣 森有礼が、ドイツの教育学者フリードリッヒ・フレーベルの教育理念をもとに、日本の幼児教育に「畳紙(たとうがみ)」を取り入れます。

その後、文部省学用品課からの要請で、世界で初めての折り紙の製造販売を開始することになりました。

 

戦後には、文部省選定・標準色準拠24色折り紙を発売。

玩具としての「折り紙」も国内各社から発売され、世界的にも折り紙が広がっていきました。

 

昭和47(1972)年、伝統工芸として、折り紙を広く伝えていくための施設『お茶の水 おりがみ会館』開設されました。

 

こちらは現在では、外国人に人気のスポットです。おりがみで出来た人形など、インスタ映えするからでしょうか?

 

 


8.ニコライ堂

 

日本初、最大級の本格的ビサンティン様式の教会建築で1891年竣工。

1962年国の重要文化財に指定。正式名称は「東京復活大聖堂」。

 

この建設にあの幕末の志士 ”坂本龍馬”が間接的に関わっていることは意外と知られていません。

 

龍馬が2度目の江戸での修行中、従兄弟 山本琢磨が酔った帰り道、金時計を拾い、時計屋に売ってしまいます。

これが不法であることが発覚し、窮地に。

訴追を免れるため、龍馬、武市半平太の助けで、琢磨は江戸を脱出。

 

辿り着いた新潟で前島密より函館行を進められ函館へ。

そこで、琢磨は剣術の腕前で道場を開きます。

そんな中、函館神明宮宮司の沢辺悌之助に請われ、婿養子になります。

 

その頃、函館にはロシア領事館があり、付属聖堂の管轄司祭として来日したロシア正教会ニコライ神父は、ロシア人子弟に日本武術を学ばせたいという館員がいて、その指南役として琢磨と知合います。

 

ニコライ神父はハリスト正教会の教えを琢磨に説き、その教えに信服し、1868年、未だキリスト教禁制の中、秘密裏に洗礼を受けます。その後、明治17(1884)年、ニコライ堂起工、建設にあたって、建設資金を困窮する伝道者の生活費に回すべきという琢磨と、ニコライ神父で対立もあったが、のち和解し、協力しました。

 

私がファンである ”龍馬” がこんなところでも関係していたと聞き、少し親近感が湧いてきました(笑)。

 


9.明治大学博物館

 

戦前の昭和4(1929)年、法学生徒の実物教育のために刑事関係資料の収集・保管を目的とした刑事博物館が開設。

昭和26(1951)年に、当初は化繊など原材料標本類を、後には伝統的工芸品を展示する商品陳列館(のち商品博物館)が開設。
続いて昭和27(1952)年には、本学の考古学研究の成果を公開する考古学陳列館(のち考古学博物館)が設置されました。

 

2004年4月 、新築となった生涯教育棟アカデミーコモンの地階に、これら旧3館の展示を引き継ぐ常設展示室と、より幅広いテーマで大学による研究の成果や貴重な学術資料を公開する特別展示室を設置されました。

 

なかでも圧巻は「刑事博物館」。

鉄の人型の内側に無数の釘が仕込まれた「ニュルンベルクの鉄の処女」や「ギロチン」など拷問・刑罰の専門展示は国内唯一。

実物を見ると「ギョッ」としますが、工芸的な美しさも感じることが出来ます。  

 

 


10.山の上ホテル

 

建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計のアールデコ様式の建物は、川端康成、三島由紀夫、池波正太郎など錚々たる文豪たちが愛用しました。(ヴォ―リズはメンソレータムで有名な近江兄弟社の創業者でもある)

 

もともとは西洋の生活様式やマナーを日本の女性に啓蒙する施設として利用されていましたが、太平洋戦争後のGHQ接収解除を受け、1954年にホテルとして再スタートを切りました。

 

作家に人気の日本庭園付きスイート、小説家の池波正太郎が愛用した畳敷きにベッドを置いた和洋折衷の部屋など、緑に囲まれた丘の上で味わうアールデコの美しい意匠、パーソナルなサービスが、居心地の良さにつながるのでしょう。

 

正面玄関を守るガス灯は今も現役。開業当時からあるもので、いまもガスの明かりで周囲を照らしています。 

 

 


11.ムカイ林檎店

 

こちらに行くと、まず、リンゴを試食できます。

品種はフジをはじめ、普段はあまり見かけない珍しい品種に出会えることも。

金星、星の金貨、シナノスイートなど

 

普段たべている林檎と違い、梨のような味のものなど、変わった味を経験すると、思わず買っちゃいます。

 

 



12.ランチ「京乃菜」で出汁巻き玉子メインのおばんざいを満喫

 

3時間散歩でお腹はペコペコです。

お待ちかねのランチは

①湯葉刺身

②近大マグロの炙りとヒラマサの刺身(近大マグロは初めて食べましたが、炙りが効いて絶品でした!)

③揚げ出し麩(京都おばんざいらしい一品です)

④銀だらの西京焼き

⑤メインの出汁巻き玉子(砂糖を使わず、出汁と薄口しょうゆだけで仕上げた逸品!)

最後のシメはお漬物をご飯の上にのっけて、出汁茶漬け。お代わりする方もいらっしゃいました!

 

ビールで乾杯した後は、各自お好きな日本酒をちびりちびりとやりながら、懇親会は大盛り上がりでした。

 

ご参加いただいた皆さん、本当にありがとうございました!

 

  

 


13.今回のクイズはこんな内容でした!

 

(1)御茶ノ水 碑

   お茶の水の湧水は江戸時代から神田川と関係があった。神田川の水源は?

   ①井之頭池 ②上野不忍池 ③洗足池

 

(2)湯島聖堂

   1970年代に放送されたドラマ○○では湯島聖堂の大成殿がロケ地となった。

   ①仁 ②西遊記 ③白い巨塔

 

(3)天野屋、三河屋

   甘酒は「飲む○○」と言われるほど栄養価が高く、昔から庶民の健康を支えてきた。

   ①点滴 ②注射 ③ビタミン剤

 

(4)神田明神

   江戸城の表鬼門除けに鎮座する江戸総鎮守。日本のビジネス中心地大手町、丸の内を氏子地域にもち、企業参拝も圧倒的。

  (他にも神田・日本橋など●●●町会の総氏神)

   ①108 ②118 ③128

 

(5)おりがみ会館

  「おりがみ会館」を運営する「ゆしまの小林」は「夢枕」の版権を所有しています。夢枕を正月二日の夜、枕の下に敷いて寝ると、「一富士、二鷹、三○○」吉夢を見れると言われる。

   ①きゅうり ②茄子 ③人参

 

(6)阿久悠記念館

   阿久悠さんは1959年、明治大学○○学部を卒業しています。

   ①法学部 ②政治経済学部 ③文学部

 

(7)山の上ホテル

   屋根裏部屋601号室(通称○○)。楽譜や肖像画の装飾に、クラッシックを聴くための本格オーディオが完備されています。(現在は取り払われた) 

   ①モーツァルト ②ベートーベン ③シューベルト

 

(8)カトリック神田教会

   現在の聖堂は○○人宣教師シェレル神父の構想により昭和3(1928)年に完成した。

   ①フランス ②オランダ ③アメリカ

 

 

(正解)

(1)① (2)② (3)① (4)① (5)② (6)③ (7)① (8)①

 

今回、最高得点のチームは6問正解でした!

 


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コメント: 4
  • #1

    廣澤裕彦 (月曜日, 26 3月 2018 20:11)

    本当に楽しかったです。また、宜しくお願いします。

  • #2

    大西百合子 (月曜日, 26 3月 2018 23:16)

    ブログの説明を拝見して改めてよーく理解出来ました。食事もとても美味しかったです。また参加させていただきたいです。

  • #3

    街発見くらぶ 藤井 (火曜日, 27 3月 2018 01:23)

    廣澤さま、ご参加ありがとうございました。楽しんでいただけたようで、よかったです。また次回(5/13)の企画も「あっと思える内容」を作り上げて、リリースしますので、よろしくお願いします。

  • #4

    街発見くらぶ 藤井 (火曜日, 27 3月 2018 01:30)

    大西さま、初参加、本当にありがとうございました。皆様と楽しそうに、お話しされながら、歩いていらっしゃる姿を拝見し、本当によかったと思っています。また、次回(5/13)、ご期待に添えられるような企画でお待ちしていますので、よろしくお願いします。