≪江戸吉原 おいらん道中≫
4月14日、浅草観音うら一葉桜まつりに行ってきました!
江戸時代の吉原で行われていた「おいらん道中」が再現されていました。
『吉原遊郭』
吉原遊郭は元和3(1617)年、幕府公認で現在の人形町あたりに設置されました。
その後、江戸の街づくりの発展により、武家屋敷が近くまで迫ってきて、風紀上好ましくないので、明暦3(1657)年の明暦の大火を機に現在地に移転されました。
その後、何度か火事・地震などの災害に遭いながらも、300年間、続いてきた日本最大の遊郭です。
最盛期には3,000人の遊女がいたとされていますが、遊女には「格」があり、その頂点に君臨したのが「花魁(おいらん)」です。
「花魁」になるためには、容姿や気だてばかりでなく、幼い頃から詩や音楽、文学などを身につけることが必要でした。
遊女は吉原を出ることができないので、客との通信連絡には手紙が重要な手段で、文字はもちろん、文章も優雅で、相手の心をうつような手紙を書けるような教養があったのです。
見世の屋台骨を支える「花魁」は浮世絵にも書かれたりして、庶民の間でも今のアイドルのような存在でした。
そのため、禿(かむろ)や新造などさまざまな世話をする者がついていました。
「花魁」が客から指名を受け、自分の部屋から茶屋へ出向く道中行列を「花魁道中」と呼びました。
禿や新造、妓太夫、やり手などに付き添われていく華やかな行列はひとつの見せ場でした。
そのため、有名な花魁の道中には数多くの見物人が集まったそうです。
「花魁」は庶民には高根の花ですが、その姿を一目見たいと思う気持ちはよく分かります(笑)。
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