先週、杉並区にある「彰義隊」関連の史跡を見て、さらにディープなものを見たくなり、南千住~三ノ輪に出没。
上野戦争の激戦地だった証拠とも言える寛永寺黒門が移設されている円通寺を訪問しました。
1.円通寺「黒門」
彰義隊と新政府軍が戦った上野戦争(1868年5月)はあっけなく、一日で勝敗が決し、彰義隊は壊滅。
戦いの後、上野山には二百体を超える彰義隊戦死者の遺骸が散乱していました。
その状況に心を痛めていた円通寺 仏磨和尚が、寛永寺御用商人 三河屋幸三郎と共に、官許を得て、遺骸を火葬し、円通寺に埋葬しました。
これが縁となって、明治40(1907)年、黒門が円通寺に移されました。
その後、昭和60(1985)年に修復工事が行われています。
この黒門には無数の弾痕が残っており、かなりの迫力で、その時の激戦の様子を今に伝えています。
2.円通寺「さまざまな碑」
黒門の裏には多数の彰義隊や旧幕臣他の碑があり、圧巻です。
榎本武揚、大鳥圭介、新門辰五郎、永井尚志など多数。
彰義隊隊士以外にも戊辰戦争で戦死した旧幕府軍兵士追悼の墓などがあります。
3.思川と泪橋
思川はこのあたりにあった堀。
音無川の支流で明治通りの北側に沿って流れ、橋場の渡しの北で隅田川に合流していました。
この思川に架かっていたいた橋が「泪橋」。
名前の由来は、小塚原の御仕置場に赴く囚人たちが、現世を去るに際して、涙を流しながら渡った、また、囚人の知人が今生の別れを惜しんで袖を濡らしたからとも言われています。
私は「泪橋」と聞くと、「明日のジョー」の丹下段平ジムがこの橋のたもとにあったことを思い出します。
4.松尾芭蕉像「奥の細道 矢立初めの地 千住」
南千住駅前に建つ松尾芭蕉像。
元禄2(1689)年3月27日、芭蕉はここ千住から奥の細道の旅に出ました。
5.小塚原回向院
小塚原刑場は、慶安4(1651)年、千住大橋南側の小塚原町に創設され、磔刑、火刑、梟首(獄門)が執行されました。
小塚原刑場の死体は丁寧に埋葬されなかったらしく、周囲に臭気が充満して大変な状況だったようです。
これを憂慮した両国回向院の住職が、処刑された在任を供養するため、創建したのが常行堂で、その後、小塚原回向院となりました。
また、こちらでは腑分けも行われました。
後に「解体新書」を翻訳した杉田玄白や前野良沢は、この地で刑死者の腑分けに立会ったそうで、ここは「日本解剖学の発祥の地」とも言われます。
入り口には吉展地蔵尊という大きな地蔵が立っています。
これは1963年、台東区入谷で起きた吉展ちゃん誘拐殺人事件の被害者(当時4歳)を供養するために建立された地蔵です。
吉展ちゃの遺体は先ほど廻った円通寺で発見されました。
この事件後、身代金目的誘拐罪が刑法に加えられたり、電話の逆探知も認められるようになりました。。。
6.回向院「カール ゴッチ墓」
私はこの回向院を何度か訪れており、橋本左内、吉田松陰の墓にはお参りしたことがありました。
今回、久しぶりに訪れて、びっくりしました。
何と、伝説のプロレスラー「カール ゴッチ」のお墓があるではないですか。
生前、彼が好きだったのでしょう、たくさんの赤ワインが供えてありました。
ゴッチの弟子 アントニオ猪木を始め、藤原喜明、木戸修、西村修らが発起人となり現在、文京区議でもある西村修が実務面を担当して2017年7月28日、納骨式が行われたそうです。
カールゴッチが生み出した「ジャーマン・スープレックス(原爆固め)」は当時のプロレスでは最高難度で、そのキレは最高でした。
墓石に刻まれた “ゴッチ氏の教え”
「Never lie , never cheat , never quit. 技術と精神は常に一緒だ。決して嘘をつくな、決してごまかすな、決して放棄するな」
今でも心に沁みます。
7.「吉田松陰 墓」と「橋本左内 墓」
井伊直弼による“安政の大獄”で処刑された二人の墓です。
ちょうど今、大河ドラマで橋本左内が捕えられるところをやっていたので、また見たくなりました。
明治維新への精神的指導者と云われる「吉田松陰」、開国派として危険視された「橋本左内」、更に著名な幕末期の儒学者で、日本外史で有名な儒学者・頼山陽を父に持つ「頼三樹三郎」といった幕末の重要な思想家たちの墓所があります。
ただし、吉田松陰の墓所は、1863年に高杉晋作らによって世田谷区若林に改装され、明治時代、その地に松陰神社が建立されたので、ここには当時の墓石だけが、文化財として保存されています。
因みに政治犯であった彼らの処刑は、小塚原刑場ではなく伝馬町牢屋敷でしたが、罪人として回向院に葬られました。
8.延命院「小塚原の首切地蔵」
現在、小塚原刑場跡地には、小塚原回向院から分院独立した『延命寺』があり、罪人を供養するために、寛保元年に造立された“首切地蔵”が安置されています。
小塚原刑場は新政府が廃止するまで使われ、明治初期までに20万人ほどの刑が執行されたと言われます。
“泪橋”で最後の別れをして、“延命寺”のある小塚原刑場で処刑され、“回向院”で埋葬・供養されるという、江戸時代の暗い歴史がここ南千住の地で繰り返されていました。
9.ランチは弁天総本店「焼鳥丼」
お店は三ノ輪駅近くにある昭和レトロ満載の古民家のような雰囲気。
初めての訪問だったので、お店の方にお奨めを聞いて、「焼鳥丼」をチョイス。
5分くらい待つと小鉢(ポテトサラダ)(漬け物)、味噌汁と一緒に出てきました「焼鳥丼」。
甘辛タレがよくしみ込んだ鶏肉はジューシーで存在感たっぷり。
そぼろは焼鳥ほど濃くなく、結構あっさりめの味付け。
お腹も空いていたので、一気にかき込みました。
ビールも欲しかったのですが、この後も歩くことを考えて、ここは自重しました(笑)
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