1.行人坂
江戸時代、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始め、次第に多くの行人が集まり、住むようになったので、「行人坂」と呼ばれるようになりました。
その当時、この坂は家族や仲間と一緒に「目黒のお不動さん」へお参りにいく道で、西向けの坂の上には、富士見の名所「富士見茶屋」があり、庶民の楽しみの場でもありました。
しかし、この坂は長さ約150m、高低差30m、そして平均勾配が15.6%もあります。
当時の人々はこの坂を上がるのはきつかったでしょうね。
2.大円寺
元和年間、奥州出羽の修験僧大海が大日如来を祀る道場を開いたのが始まり。
この大円寺が歴史に大きく登場することになるのは、明和9(1772)年2月29日、本堂が放火されて、江戸六百余町、江戸城の一部も焼けた「目黒行人坂の大火」の火元としてです。
(石仏群)
大火の死者を供養するために建てられました。
石仏の中には聖母マリアを思わせる女性らしきもの、十字架の形を刻んだ錫杖をもつものもあるそうです。
それらは、当時禁制だった隠れキリシタンに関わっているのかもしれません。
3.大円寺(八百屋お七と吉三の碑)
何とも切ないお話です。
天和3(1683)年、本郷の八百屋の娘お七は、家が火事で焼かれ、家族と一緒にお寺で仮住まいをします。
そこで寺小姓の吉三と出会い、若い二人は愛し合うようになります。
やがて、火事で焼けた八百屋は再建され、お七一家は本郷に戻ることに。
しかし、それは吉三と離れることを意味しました。
離れ離れになったお七は、もう一度、家が火事になれば、吉三に会えるのではないかと思い、ついに自宅に火を放ちますが、すぐに消し止められ、お七は放火犯として捕まることに。
そしてお七は鈴ヶ森の刑場で火あぶりに処せられました。
恋人を失った吉三は出家して西運と名乗り、旅に出て、その後、目黒の大円寺近くの明王院に入り、お七の菩提を弔いました。
風雪吹きすさぶ中、念仏行を続ける西運の姿が碑に刻まれています。
4.蟠龍寺
行人坂付近にあった称明院を宝永6(1709)年に増上寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため、現在の場所に移して霊雲山蟠龍寺と改名し再建しました。
こちらの岩窟の中にある石仏の弁財天、金運アップのご利益があるそうです!
また、江戸時代より美人になるご利益で有名な「おしろい地蔵」もあります。
おしろいに縁のある歌舞伎役者なども信仰していたようです。
ご利益に授かるには、まずお地蔵さまにおしろいを塗り、残りを自分の顔につけるとご利益があるとか(笑)。
現在は美人祈願のパワースポットとして知る人ぞ知るところだそうです・・・
5.玉川屋(目黒仁王餅)
ちょっと寄り道休憩。お土産を買ったり、おまんじゅうを頬張る方も。
クイズの賞品に「目黒仁王餅」を購入。
これは、こちら玉川屋さんの3代目が寄進した目黒不動尊の仁王様にちなんで作ったものらしいです。
つぶし餡を、やわらかく煉り上げたわらび餅で包み、きな粉をふりかけたもので、お茶だけでなく、日本酒とマリア―ジュしてもなかなかいけます。
6.目黒寄生虫館
世界で唯一、寄生虫ばかりを展示したディープな博物館。
お土産用にアニサキス(死んでいますが本物です)が入ったストラップがありましたが、どなたも購入はされなかったようです(笑)
7.目黒競馬場跡
明治40(1907)年に開設された目黒競馬場。
当時の競馬は上流階級の遊びで、特に一等館には羽織・袴、またはシルクハットをかぶり、正装した人しか入場できなかったようです。
その服装を借りるため、目黒駅付近に借り着屋もあったほど。
そこまでして、競馬いきますかね(笑)
8.泰叡山護國院 瀧泉寺(通称:目黒不動尊)
平安時代、慈覚大師の創建と伝えられる。
江戸時代には「目黒のお不動さん」として将軍家はじめ、庶民の厚い信仰を集め、江戸近郊随一の行楽の名所でした。
ここでは「江戸の三富」と呼ばれた「富くじ」が行われました。
それも庶民に人気があった理由かなぁ。
9.目黒不動尊(独鈷の滝)
慈覚大師が寺地を定めようとして、独鈷を投げたところ、その落下した地から霊泉が湧きだして、今日まで涸れることがないという。
独鈷の滝を浴びると病気が治癒するとの信仰があったので、絵にもあるように滝をを浴びる人がいたようだ。
ちょうど、大河ドラマ「西郷どん」でもやっていましたが、あの西郷隆盛も主君 島津斉彬の健康快癒をここで願ったと言われています。
絵の中では、目の前を女性が歩いていますが、そこで「ふんどし一丁」になって滝を浴びることは当時、問題なかったのでしょうか(笑)
10.目黒不動尊(鷹居の松)
江戸時代、三代将軍家光がこの地で鷹狩をした際、その愛鷹が行方知れずになった。
それで自ら不動尊に祈願したところ、忽ち、鷹が本堂前の松(鷹居の松)に帰ってきたので、家光はその威力を尊信し、諸堂末寺等併せて、五十三棟にも及ぶ大伽藍の復興を成し遂げました。
11.ランチは「ベントエマーレ」でピザメインのイタリアンを満喫
坂道の多かった3時間散歩でお腹はペコペコ。
お待ちかねのランチはミシュランガイドのビブグルマンを獲得した名店のピザです。
①前菜の盛り合わせ
②アサリの白ワイン蒸し
③一緒に頼んだフォカッチャ「焦げ目がいいアクセントになったシンプルにピザの生地を焼いたもの」(写真を撮り忘れました)
④ピザは全部で6枚を堪能
⑤ お酒はイタリアンビールとワイン5本空けました!(笑)
真っ昼間からよく飲んで、懇親会は大盛り上がり。
家には無事に帰られたのでしょうか???
ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました!
まだ先の話になりますが、10月7日(日)、清澄庭園「涼亭」で食事とお酒を楽しむ会をやります。
これが3回目になりますが、今回が最後です!
回遊式庭園の魅力を中から味わえる貴重な機会ですので、よろしければご予定に入れていただけると幸いです。
12.今回のクイズはこんな内容でした!
(1)目黒駅
目黒駅が誕生した明治18(1885)年に起きた事象は何か?
①日本初の動物園「上野動物園」の誕生、②華やかな社交場「鹿鳴館」誕生、③電話機と電燈が初輸入された
(2)山手線
山手線が都心を一周する環状運転を始める前、最後につながったのはどこ?
①神田~上野 ②池袋~田端 ③上野~田端
(3)行人坂
行人坂の延長は約150m、その平均勾配は約●●% ?
①17.6%、②18.6%、③15.6%
(4)大円寺
江戸3大大火の一つ、「目黒行人坂の大火」の火元だった大円寺は幕末まで、再興が許されませんでした。
古くから縁のあった●●藩○○家の尽力で、嘉永元(1848)年になって再建されました。
①長州藩毛利家、②仙台藩伊達家、③薩摩藩島津家
(5)ホテル雅叙園東京
細川力蔵がのちに「昭和の竜宮城」と呼ばれた「目黒雅叙園」を料亭として開いたのは昭和6(1931)年。
園名の由来は教養人・趣味人が一日居ても飽きない場所という意味を持つ「●●●●」の言葉です。
①雅叙文情、②文情雅叙、③文雅叙情
(6)目黒寄生虫館
展示されているサナダムシは●●m。
①6.6m、②7.7m、③8.8m
(7)目黒競馬場跡
明治40(1907)年12月7日、目黒競馬場開設初日の第5競走でベンテン号はレース途中に足を怪我する。
この馬はどうなったか?
①人間がいく病院に入院、②その場で銃殺された、③競走馬を引退させられた
(8)目黒不動尊
文化9(1812)年「江戸の三富」と呼ばれた「富くじ」が行われた。他は谷中感応寺と●●。
富くじ興行は天保13(1842)年の天保の改革により中止となった。
①浅草浅草寺、②湯島天満宮、③柴又帝釈天題経寺
(9)比翼塚
この話に出てくる武士は●●藩の武士 平井(歌舞伎では白井)権八。
①仙台藩、②鳥取藩、③薩摩藩
(10)五百羅漢寺
昭和13(1938)年、安藤妙照尼が入寺して、第二次大戦前後の困難な時代に寺を維持した。
安藤妙照尼は●●の芸者出身。
①新橋、②神楽坂、③向島
(11)成就院(たこ薬師)
ご本尊は、●匹の蛸に支えられる蓮華座に乗る薬師如来像です。
①2匹、②3匹、③4匹
(正解)
(1)③ (2)① (3)③ (4)③ (5)③ (6)③ (7)② (8)② (9)② (10)① (11)②
今回、最高得点のチームは10問正解でした!
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藤下 修 (火曜日, 26 6月 2018 22:17)
素晴らしい!
これらの重要部分を、フェイスブックにシェア投稿してください!
よろしくお願いします!(^_^)
新たな、フェイスブックページでもいいですし、
できれば、今のグループで、自由にコメント、質問、補追投稿できるように、お願いします。
それが、やがて、出版へと発展して行きます…(^_^)
街発見くらぶ 藤井 (水曜日, 27 6月 2018 20:57)
藤下さま、貴重なアドバイスありがとうございます。私のfacebookスキルは、初心者に毛が生えたくらいで、発信力が弱いので、これからも様々なご意見いただけると幸いです。毎回、ブログを更新したときは、普通に、facebookには載せているのですが、まだまだですね(笑)