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【第17回】ぶらっと深川散歩「清澄白河」を10月7日(日)に実施しました!

芭蕉史跡展望庭園 説明板より
芭蕉史跡展望庭園 説明板より

10月7日(日)、珍しく天候にも恵まれ、ぶらっと深川散歩「清澄白河」を実施しました!

 

何と今回のランチ懇親会のお客様は17名、過去最多の参加者です。

街歩きも14名と多くの方に参加いただきました。

 

清澄庭園「涼亭」での懇親会も3回目を迎え、もうこれが最後ですということで、リピーターの方含め、新規の方にも参加いただきました。

 

今回は「深川」の発祥の地から、広重やゴッホが描いた「新大橋」など、深川を代表するスポットを街発見散歩です。

 

さあ、10月の天気とは思えないような暑い中でのスタートです。

 

 


1.纏(まとい)のモニュメント(森下交差点)

 

江戸享保年間、徳川吉宗の時代、「江戸町火消いろは48組」、本所深川南・中・北16組」で纏が構成されたとき、作られた物のモニュメント。

 

纏とか見ていると、下町の江戸っ子の”粋”を感じます。

 

 


2.深川神明宮

 

およそ400年前、現在の深川は葦の生い茂る三角州で、住んでいる人もほとんどいませんでした。

その頃、一族を連れて、この地に移り住んだ深川八郎右衛門は、このあたりの土地の開拓に着手しました。

 

八郎右衛門は神様を深く敬っており、屋敷の中に小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮の御分霊をお祀りし、ここ深川の発展を記念しました。

 

これが深川神明宮の起源で、いつしか、深川総鎮守神明宮と称せられるようになり、今日に至ります。

 

深川の地名は慶長元(1596)年、徳川家康が当地の視察に訪れた時、深川八郎右衛門を呼び寄せ、地名を尋ねると、まだないとのことだったので、八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じたことが起源だそうです。

 

ということで、ここが『深川発祥の地』なのです。

 


昭和30年頃の新大橋
昭和30年頃の新大橋
出典:Wikipedia
出典:Wikipedia

3.新大橋橋名板

 

明治45(1912)年に架けられた新大橋の橋名板。

現在の新大橋(昭和52年完成)に架け替えられるまで、江東区側の正面上部のアーチを飾っていたもの。

 

最初の新大橋は隅田川に架かる3番目の橋として元禄6(1693)年に架けられました。

 

また、この新大橋は歌川広重の名所江戸百景「大はしあたけの夕立」に、夕立の光景として描かれており、ゴッホの模写作品とともに知られています。

 


4.芭蕉史跡展望庭園

 

この庭園は隅田川と小名木川に隣接して、新大橋と清洲橋を眺められます。

また、四季折々の水辺の風景や、芭蕉像、芭蕉庵のレリーフなど見どころ満載です。

 

この芭蕉像は17時に回転するらしいのです。

しかし、この庭園の開園時間が9時15分~16時半までなので、その瞬間は見られません。

本当に動くのでしょうか??(笑)

 

  


出典:Wikipedia
出典:Wikipedia

5.萬年橋

 

萬年橋の架橋がいつなのか、はっきり分かりませんが、この橋のすぐ北側に小名木川を航行する船荷をチェックするために「川船番所」が置かれていました。

明暦の大火後、寛文元(1661)年に中川口へと移されたため、この付近は「元番所」と呼ばれていました。

 

その優美なアーチ型の橋は葛飾北斎の冨嶽三十六景「深川萬年橋下」として描かれています。

 

現在の橋のアーチが何となく当時の面影を連想させてくれます。

 

 


6.小名木川

 

1590年頃、江戸城を居城と定めた徳川家康は、食材として最も重要な塩の確保を目的に、行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目をつけ、小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削させました。

この運河の完成により、経路が大幅に短縮され、荷物は神田・日本橋など江戸の中心部へ運ばれました。

 

 

松平定信墓
松平定信墓

7.霊願寺「松平定信墓」

 

松平定信は徳川吉宗の孫にあたり、1787~1793年の間、老中として「寛政の改革」を主導しました。

前任の田沼意次が推進した政策(重商主義)を否定し、緊縮財政、風紀取締りによる幕府財政の安定化を目指しました。

 

しかし、その内容は庶民にはあまり評判は良くなかったようです。

 

この墓所には、松平定信本人の他、正妻、側室、甥の墓が建っています。

特に甥の墓は立派です。

 

 


8.霊願寺 銅造地蔵菩薩坐像

 

江戸深川の地蔵坊正元が、京都の六地蔵にならい、江戸をつなぐ街道筋六か所に建立しました。

 

正元は24歳の時に重病にかかりましたが、父母と共に地蔵菩薩に願をかけて祈ったところ、回復することができたので、地蔵菩薩の建立を決意したと伝わります。

 

 


9.江戸みやげ屋 たかはし

 

散歩の最後は江戸資料館通りにあるお土産屋さんで、お買いもの。

皆さん、深川めしの素や佃煮などを購入されていました。

 

店主はこの辺りではちょっとした有名人。

この恰好でいつも店頭に立ち、お客様に声をかけ、清澄白河の素晴らしいところを紹介しています。

 

私も下見で訪れた時、このあたりの美味しいお店や、面白い場所など清澄白河に関する様々な情報を伺いました。「

 

「10月7日に何人か、連れて寄りますよ」と話しておいたところ、当日は、おまけしていただきました。(笑)

 

 


10.清澄庭園散策

 

当日、庭園内の散策は専門のガイドの方に説明をお願いしました。

その間、私は、涼亭で懇親会の準備です。

 

ここ清澄庭園は江戸の豪商 紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と言われています。

享保年間には、下総国関宿の城主 久世大和守の下屋敷となり、庭園の基礎が築かれました。

 

明治11年、岩崎彌太郎がこの地を買い取り、社員の慰労や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として開園しました。

 

その後も造園工事は進められ、隅田川の水を引いた池を造り、また、全国から取り寄せた名石を置いて、「回遊式庭園」として完成しました。

 

 


11.薩摩琵琶の弾き語り ゼノビッチ美奈子さん

 

ランチ懇親会の前に本日の特別イベント「薩摩琵琶の弾き語り」です。

奏者はゼノビッチ美奈子さんです。

 

演奏題目は「義経」 

 

皆さん、義経のストーリーは御存じの方も多く、馴染みがある上、ゼノビッチさんから説明を聞いた後、演奏を聴いたので、内容もよく分かったのではないでしょうか。

 

「静御前との別れ」の恋しい人との別れ、「勧進帳」弁慶がとっさの機転で、義経を杖で打ちのめすシーンなど、そのシーンが本当に目の前に、浮かんでくるような気がしました。

 

演奏後、皆さんは薩摩琵琶に興味津々。

直に触らせてもらったり、普段できないような体験ができて、ご満足いただけたのではないかと思います。

 

 


12.ランチ懇親会

 

日本酒は昨年、7本用意して、ほとんど空いたので、今回は純米大吟醸・大吟醸・純米酒・にごり酒まで8本を用意しました。

食事は清澄庭園の配膳室で用意頂いた亀戸升本の和食御膳。

 

お酒はこれで足りるだろうと思いましたが、何と、1時間半くらいで、上記日本酒全てとビール15本が見事に空きました。

それにしても、皆さん、真っ昼間からよく飲みますね(笑)

楽しく盛り上がった懇親会でよかったです。

 

ただ、無事にお家に帰ることが出来たのか心配ですが・・・(笑)

 

 


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コメント: 2
  • #1

    金谷有子 (金曜日, 12 10月 2018 08:29)

    街発見くらぶの事前情報なしでの初参加でしたので、散策して食事してお酒飲むだけの会だと勝手に思ってたんですが…
    チームごとにクイズしながら散策するのには、正直びっくりしました。

    初参加であのお食事だと、次回以降が残念に感じるかも⁇なんて仰る方もいらっしゃいましたが、また機会が合いましたら参加させて頂きます。
    ありがとうございました。

  • #2

    藤井 博英 (金曜日, 12 10月 2018 16:24)

    金谷さま、初参加ありがとうございました。そうなんです。参加者皆さんが、会話を楽しめるよう、クイズでチーム対抗戦をやっています。ほんのちょっとした物ですが、その地域の名物みたいなものを賞品として、お出ししています。また、次回のぶらっと散歩は11/25(日)、佃・月島を予定していますので、よろしければ、ご参加をお待ちしています。