「銀座」路地裏をぶらっと散歩

東京のど真ん中、銀座1丁目から8丁目まで、ぶらっと散歩。

といっても、出来るだけ人通りの少ない、レトロを感じる場所を選んで歩きました(笑)

 

1.京橋

 

慶長8(1603)年創建と言われる日本橋とほぼ同時期に架けられたと伝わります。

昭和38~40年の京橋川埋め立て工事に伴って撤去されましたが、その当時の ”石造りの親柱二基” と ”石及びコンクリート造りの親柱” が残っています。 

石造りの二基は明治8(1875)年に石造アーチ橋に架け替えられたときのもの、もう一方は大正11(1922)年、アール・デコ風に架け替えられたときのものです。

 

当時の写真と一緒に見ると、目の前に当時の情景が浮かぶような気がします。

 

 


2.江戸歌舞伎発祥の地

 

寛永元(1624)年、猿若勘三郎が中橋南地(現在の日本橋と京橋の中間にあった橋)に、猿若座の櫓(やぐら)をあげたのが始まり。
この猿若勘三郎が、後に名前を変えて中村勘三郎となり、座の名前も中村座となりました。

 

その横には「京橋大根河岸青物市場跡」の碑もあります。

江戸時代から昭和10年までの約270年間、京橋川にかかる紺屋橋(中ノ橋)から京橋にかけて、青物市場が存在しました。

通称「大根河岸」と伝わります。

 


3.煉瓦銀座之碑

 

明治5(1872)年2月26日に発生した銀座大火は銀座全域を焼き尽くし、築地方面まで広がりました。

当時の東京府知事、由利公正は、羅災した銀座全地域を不燃の煉瓦造りの街にすることを計画し、煉瓦街が造られました。

 

(由利公正)

越前藩主 松平慶永が幕府政事総裁職に就任したとき、慶永の側用人に就任しました。

しかし、長州征伐を巡って、支持が得られず蟄居・謹慎処分となります。

 

謹慎中に坂本龍馬の来訪を受けて交流を深め、新政府が採るべき経済政策について話し、このことが新政府への参画を求められたことにつながったと考えられています。

 

龍馬が福井を2度目の訪問をしてから約1週間後、公正は福井城下 足羽川沿いの土手を歩いていたその時、突風が公正を襲い、懐中に忍ばせておいた龍馬の手紙を落としてしまいました。

公正がその手紙を紛失した時と同じくして京都にて龍馬が暗殺されたという巷談が残っています。

 

 


4.ガス灯

 

明治7(1874)年のガス灯の実物が復元されて、立っています。

 


5.警察博物館

 

日本警察の始まりから現代までの歴史的な資料が展示され、現在の警視庁の活動について紹介されています。 

特に警視庁創設者である川路大警視に関する資料をはじめ、草創期からの事件に関する資料はとても興味深いものでした。

 

「赤バイ」

大正6(1917)年の頃、都内の自動車台数は約1300台。

交通事故も頻繁に発生するようになり、機動力のあるオートバイによる取締りが必要になったことから、米国製のオートバイが輸入され、その車体の色から「赤バイ」と呼ばれました。

 

当時は白バイではなく、「赤バイ」だったのですね(笑)

 


6.超レトロなギャラリービル

 

何とこのビルのエレベーターは手動で、ドアを閉めます。

築80年以上のこのビルは昔は高級アパートだったそう。

西条八十、佐藤千恵子なども住んでいたとか・・・

 

 


7.銀座発祥の地

 

江戸時代の銀座とは貨幣の鋳造所のことで、慶長6(1601)年に伏見に創設されたのが始まり。

その後は各地に置かれたが、やがてこの地の銀座に統合されました。

この銀座役所では貨幣鋳造と銀地金の売買が行われ、役所は寛政12(1800)年に蛎殻町(かきがらちょう)に移転しましたが、銀座は地名として残りました。

 

 


8.宝童稲荷(ほうどういなり)

 

江戸時代、将軍の子息の早逝を防ぐために、江戸城内に祀られた子育祈願の稲荷神社を、江戸中期に、城に仕える町名主 弥左衛門が町内の守り本尊として分祀し、氏神として祀ったのが始り。
これが弥左衛門町の名の由来だそう。

 

こちらは銀座4丁目の近くの路地(宝童稲荷参道)を抜けたところにあります。

お猿さんが迎えてくれます。

 

この神社のおみくじは、おしゃれなデザインのクリアファイルに入っています。

 

 


9.三原小路

 

銀座4丁目近くにある風情ある小路。

戦後間もない頃は30軒近い割烹や小料理屋が軒を並べていたらしい。

 

この小路を出て、晴海通りに出る途中、さらにディープな小路もあります。

 

《あづま稲荷神社》

三原小路がたびたび火事に見舞われたことから、町内の方が京都伏見稲荷から分霊して祀ったところ、それからは火事はなくなったという。

 

 


10.金春湯

 

文久3(1863)年の開業。
当初は木造建てでしたが、昭和32年に改築し、ビル内に銭湯を構える現在の形になりました。

改築当時は、ビル内に銭湯を構えることは珍しく、周囲に高い建物がなく、このビルが一番高い建物だったようです。

 

金春湯さんのホームページがありました。

私は中に入ったことはありませんが、こんな感じのようです。

一度、入りたいですね。

http://www002.upp.so-net.ne.jp/konparu/facility.html

 

 「金春(こんぱる)」という名前の由来は、江戸時代に幕府直属の能役者として知行・配当米・扶持を与えられていた金春(こんぱる)・観世(かんぜ)・宝生(ほうしょう)・金剛(こんごう)の4家のうち、金春家が寛永4(1627)年に屋敷を拝領し、それがここ銀座8丁目6・7・8番地全体を占めていたから、とのことです。

 

 


11.ランチは稲庭うどん「銀座 佐藤養助 養心蔵」

 

久しぶりに銀座を歩いたら、お腹が空いてきました。

お店がいっぱいありすぎて迷いましたが、温かいものが欲しくなり、稲庭うどんをチョイス。

四国の讃岐うどんのようにコシがあるうどんもいいですが、たまには、すっきりした細麺もありだと思います。