1.拝島
安土桃山時代の本殿が残る熊川神社や玉川上水開削工事跡など、玉川上水と熊川分水に沿って旧熊川村の歴史を巡りながら散策し、最後は江戸時代から続く老舗の石川酒造で、ランチを食すぶらっと散歩です。
2.日光橋
明治24(1891)年、近代的な技術を用いて、架け替えられたレンガアーチ橋。
昭和25(1950)年には明治時代に作られた橋をそのままに両サイドの拡幅が行われ、現在の形になりました。
現在でもこの橋は下から覗くと、レンガの名残を見ることが出来、国内に現存する最古の道路レンガアーチ橋と考えられています。
名前の由来は江戸時代以来、八王子千人同心が日光東照宮の「火の番」の任に往来した道「千人同心日光道」が玉川上水をまたぐ位置にこの橋が造られたことによります。
3.玉川上水緑地
江戸時代、江戸の人口が増えて井戸や小川だけでは飲料水を賄えなくなったため、承応元(1652)年11月、幕府により多摩川からの上水開削が計画されました。
工事の総奉行に老中で川越藩主の松平信綱、水道奉行に伊奈忠治(没後は忠克)が就き、庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)が工事を請負い、資金として公儀6000両が拠出されました。
上水は取水口である多摩川の羽村から四谷大木戸までの43kmに及ぶものですが、この間の落差が小さく勾配が緩やかなため、うまく水を流すのに苦心したと伝えられています。
2度の失敗を経て、総奉行・松平信綱は家臣の川越藩士 安松金右衛門を設計技師に起用。
安松が立案した第3案にに従って工事を再開し、約半年で羽村・四谷大木戸間を開通し、承応2(1653)年11月に玉川上水はついに完成。
翌承応3(1654)年6月から江戸市中への通水が開始されました。
しかし、工費が嵩んだ結果、高井戸まで掘ったところで、幕府から渡された資金が底をつき、兄弟は家を売って費用に充てたそうです。
庄右衛門・清右衛門は、この功績により玉川姓を許され、玉川上水役のお役目を命じられました。
4.玉川上水開削工事跡
この遺構は玉川上水開削工事が失敗し、新しい堀を北側に掘り直したため、当初計画した堀跡が残されたものです。
5.水喰土(みずくらいど)公園「これから」
享和3(1803)年、 八王子千人同心の小島文平によって書かれた『玉川上水起元并野火止村引取分水口之訳書』という 書物の中に、玉川上水は2度にわたる工事の失敗 のあと、3度目の工事にして上水は完成したと書かれています。
最初は現在の国立市青柳付近から掘りはじめて失敗し、次は福生から掘って失敗。。。
福生での失敗は、上水に水を流すと、熊川村(現在の福生市熊川)で水が残らず地中に吸い込まれてしまったからです。
このことから水喰土「みずくらいど」の名が誕生 しました。
公園内にあるこの像は膝を抱えて空を見上げている女性像、「これから」という題名。
彼女は空の雲や星を眺めて「これから」について考えているのでしょうか・・・
6.伝地頭井戸
この井戸は「地頭井戸」と呼ばれ、江戸時代、徳川幕府の旗本(地頭)で熊川鍋ヶ谷戸地区を知行した長塩氏が、水不足に悩む領民のために、掘り与えたとの伝承を持ち、昭和30年代まで地域の共同井戸として使われていたものです。
明治時代は桶で枠を作った「つるべ井戸」だったことが分かります。
昭和の時代は手押しポンプに改良されたようです。
7.熊川神社
創建された正確な年代は不明ですが、桃山時代の木造建築で、素朴ながらも壮厳な神社で、熊川村の守護神と言われています。
社を覆う樹木が重厚な雰囲気を漂わせており、本殿は市内最古の木造建築で東京都指定有形文化財です。
また、一社で七福神巡拝ができる「福生七福神」で有名です。
8.石川酒造「福生のビール小屋」
石川酒造内の「福生のビール小屋」にて下見のコースを食しました。
1.前菜
2.サラダ
3.ほうれん草のスープ
4.黒ソイのポアレ
この年になると、肉か魚を訊かれると、魚を選んでしまいます。
皮のパリパリ感が最高でした!
この後の歩きを考慮して、ビールは遠慮しました(笑)・・
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塩島義典 (金曜日, 17 5月 2019 15:15)
こんにちは塩島と申します。
拝島町で生まれました。
高度成長の時代前は
羽村の堰で水を止めると
川に入れました。
カジッカが沢山取れました。
今でもそうだと思いますが
蛍が群生します。
とっても懐かしい思い出です。
街発見くらぶ 藤井 (土曜日, 18 5月 2019 00:05)
塩島さま、コメントありがとうございます、拝島ご出身なのですね。
このあたり、本当にいいところですね。
東京にいることを忘れてしまうほど、きれいな水とせせらぎを感じながら歩くことが出来ました。
今でも、蛍が見られそうな雰囲気はありましたが、実際どうなのでしょう?
また、6月になったら夕方歩いてみようかと思います。
コメントにありました「カジッカ」とは川魚でしょうか?
まだまだ勉強が足りず、知りませんでした。
地元出身の方にこのブログを通じて拝島を懐かしいと思っていただき、よかったです。
ありがとうございました。