《麻布七不思議の痕跡を巡る!》
1.麻布七不思議とは何か?
実際、いろいろな話があり、なかなか定義が難しいのですが、ここは「麻布総合支所」に行き、職員の方に話を伺いました。
地下に連れていってもらうと、「麻布七不思議」と書かれた壁画のようなものがありました。
(一)永坂の脚気石
かつてここには五嶋近江守屋敷があり、その門前に「かなめ石(永坂の脚気石)」がありました。
この石に塩を供えてお願いをすると足の病気に効くと評判だったらしい。
当時、脚気が流行っていたので人気があったのかもしれません。
その後、道の中央にその石があって通行の邪魔になるので移動しようとしたが、根が深くまで伸びていて、びくともしなかったと伝わります。
明治になって露出部分は取り除かれましたが、その根っこはいまだに土中にあるらしいです。
2.六本木駅からスタート
おー、懐かしい!
「アマンド」「シシリア」など30年前、あったお店が今でもあるんですねえ。
12月クリスマスのシーズンですが、昭和生まれにはスカイツリーより「東京タワー」が合います。
3.狸穴公園
(二)狸穴の古洞
ロシア大使館の手前の狸穴坂を下ったところに「狸穴古(小)洞」があったと伝わります。(採鉱の穴だったという説も)
そこには狸が棲んでいたようですが、今は何もその痕跡はありません。
そのすぐ横に狸穴公園があり、その中に「狸穴稲荷大明神」があります。
その様子を見ると、狸よりは狐に守られているようです。(笑)
「まみ」とはタヌキの別名ですが、「貒(まみ)」のことで、アナグマの別名だそうです。
また、「狢(むじな)」もタヌキとよく混同されますが、はっきり区別している文献もあります。
しかし、いずれも「同じ穴のむじな」です。(笑)
また別の話もあります。
この場所にあった「狸蕎麦(作兵衛蕎麦)」の話とか、狸穴の洞窟は品川の御殿場から四谷まで続いているとか。。
また、武士が婚礼中の狸を退治する「狸穴の婚礼」も講談として有名です。
これは我善坊谷、または大黒坂の猫又や大鼠まで登場するという奇想天外な話です。
4.十番稲荷神社
境内(神社ビルの脇)に大小二体の蝦蟇の石像が鎮座しています。
これが「蟇池」の主で、「上の字さま」と呼ばれています。
実際の蟇池は5-6百メートル離れた場所にありましたが、現在でもその痕跡がわずかに残っています。
その場所に建つマンションの名前「THE HOUSE GAMAIKE」にもその名残が残っています。
(三)蟇池
江戸時代、山崎主税助治正の敷地内の「蟇池」の大蟇が棲んでいました。
あるとき、その大蟇が二人の家臣を殺したため、怒った主税助は池の水を抜いて大蟇を退治しようとしたところ、主税助の夢枕に立ち、詫びを入れ、今後は火災から屋敷を守ると約束し、さらに火傷の薬を伝授しました。
そこで、主税助は池の畔に小祠を建て祀ることにしました。
数日後、山崎家の近くで火事が発生し、火の手が屋敷に迫った時、この大蟇が現れ、池の水や泡を吹きかけて火災を防ぎました。
このことから「上の字さま」と呼ばれるようになり、防火・火傷にご利益があると言われるようになりました。
5.一本松坂
暗闇坂を上り切ったあたり、長伝寺の脇に「一本松(冠松、呪いの松、羽衣松)」が立っています。
(四)一本松
その昔、平家の落武者が6人、現在の六本木の地まで逃れてきたが、精根尽き果て、そのうちの5人が自分たちの生きた証にそれぞれが榎の若木を植えてから腹を切って死んだ。
残った1人はさらに落ちのび、「一本松」の場所で腹を切ったと伝わります。
この落武者たちを哀れに思った村人が五本の榎と一本の松を植えて弔ったと言います。
それが「六本木」の由来だそうです。
その他一本松の由来
・源経基が平将門を倒した帰途、この松に衣冠を掛けた
・閻魔庁の役人を務めたという小野篁(たかむら)が京都から来た高貴な松の宮がここで亡くなったので、埋葬し松を植えた
・関ケ原の戦いで送られてきた多数の首級を埋めた首塚
・秋月邸の羽衣松
また、この松に甘酒を入れた竹筒を掛けると咳が治るという言い伝えもあったらしい。
6.(五)柳の井戸
弘法大師が柳の下で、鹿島大明神に祈願し、手に持った錫杖を突き立てると、そこから清水が湧きだしたという。
その代わりに常陸の鹿島神社にあった霊泉「七井」の一つが枯れてしまったと言われます。
この井戸の水は、大正12(1923)年関東大震災や昭和20(1945)年の東京大空襲で焼け出された人々の命を救ったそう。
今でもこんこんと湧き出ている奇跡の井戸だ。
7.善福寺
幕末、最初のアメリカ公使館として使用されていたので、米国初代総領事タウンゼント・ハリスの肖像が彫られた碑が立っています。
(六)逆さ銀杏
境内墓地の入口には都内最大級といわれる東京都天然記念物大銀杏が立っています。
乳根が多数垂れ下がって、幹が逆さに伸びているように見えることから「逆さ銀杏」と呼ばれています。
推定樹齢770年以上、高さ35m、幹まわり15mあります。
もともとは親鸞上人が立てた杖がそのまま地に生えて大木になったと伝わります。
また、乳の出の悪いお母さんがこの銀杏の皮で治療すると乳の出が良くなると言われ、皮を剥ぐものが後を絶たなかったらしい。
8.光林寺「ヒュースケン墓」「通訳伝吉の墓」
七不思議とは直接関係ないのですが、幕末、初代米国駐日公使ハリスの秘書兼通訳を務めたヒュースケンの墓がある光林寺を探索。
また通訳伝吉の墓もあります。
伝吉は「栄力丸」に賄方として乗り込み、嘉永3(1850)年志摩沖で遭難し、アメリカ船に救助され、10年近く外国を放浪して安政6年、イギリス公使オールコックを乗せた軍艦サンプソン号で江戸に戻った後、江戸高輪の東禅寺に入り、通訳としてイギリス公使館で勤務しましたが、その7ヶ月後、刺殺されました。
9.(七)広尾の送り囃子
狸囃子は夜になると、どこからともなく太鼓の音が聞こえてきて、その方角もあちこちと変わり、音がする方向に行くと、今度は別の方向から聞こえてくる、近くかと思えば、遠ざかる、という不思議な現象のこと。
一晩中追いかけていると、やがて日が昇り、気がつくと、野原で寝ていた、などという話もあったようだ。
麻布 広尾での特徴は古川の川沿いや広尾ヶ原を歩いていると、ススキや萩の間からお囃子の音が「まるで自分を追いかけてくる」ような感じで聞こえてくるのだそう。
10.呼じろう「いなり寿司」
仙台坂の途中にある「呼じろう」のいなり寿司。
先日購入した六本木のおつな寿司のものより、少し小ぶりです。
芝居の世界にいらした店主がこんな「楽屋見舞い」があったらといいなと思い、作り始めたとのこと。
店主の故郷に近い熊本県南関町の「南関揚げ」を使用し、季節の具(ゴマ、クルミなど)を混ぜた酢飯を巻き上げています。
しかし、こちらの揚げは裏返しではありません・・ (笑)
11.笑うかどには「福島屋」の『麻布ジューシー』
最後に、おでんの福島屋さんでお疲れ様の一杯のあとは「麻布ジューシー」をシメでいただきました。
これは牛スジをご飯の上にのせて、出汁をかけたもの。
ただ、この牛スジがただものではなく、かなり手間をかけて作られています。
一度ご賞味あれ!
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てらさわよしかつ (金曜日, 23 2月 2024 09:14)
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